「倫理」と「倫理を結局どう実行するか」の間にはアホほどの距離がある

mixiで書いた日記の転載だが、アドレスを晒すと迷惑だろうから文章のみ一部引用。苦情が来たら引用部分だけ消します<(´・ω・)以下は、マイミクの日記とコメント一部抜粋(´・ω・)>


「売春擁護は明らかな感覚麻痺」日記本文

あなたに仕事をあげます。
選んで下さい
2時間レジを打って、
2万円!!!
2時間誰かに身体を触られて
2万円!!!
さぁ、どっちの仕事をしますか?

仕事があるならば、
生活費があるならば、
売春などしなくて済む。

感覚が麻痺しているのは
このような事件のたびに
売春擁護論を唱える人たち。

好きでしている人もいる、と
嘘ぶく人たち。

売春擁護ってのはね、

売春をした人それぞれの「事情を鑑みて本人を責めない」
ことじゃ、ないのですよ??

「売春、オッケー!」
「売春、サイコー!」

ただ、それだけです。

日記主コメント1

違いますよ、
印象操作するのは
売春を立派な仕事だ、
何が悪いとうそぶく、
売春擁護のほうですよ。


同じ条件ならば
誰も売春なんてしたくないんですよ。

それが生活費の為であっても
海外旅行の為であってもね。

日記主コメント2

勘違いされていませんか?

売春は人権侵害を伴うから悪い
のであって、
売春をしている人が悪い
なんて言っていません。

売春せざるを得ない状況を作りだし、
売春を仕事と割り切らせることで、
人権侵害を容易に肯定することに
「感覚が麻痺」していると
述べているだけですが。

日記主コメント3(筆者注:サービス残業による比喩)

そそ。
それが本質でしょ。
サービス残業することによって
上司にやる気を認められて
出世する人もいる。

また、そうなると期待して
自らサービス残業をかって出る人もいる。

だからといって、それが強調されると
労働強化になり、
多くの労働者の犠牲がとなる。
首になりたくないなら
サービス残業をしなくちゃいけなくなる。

それは、
過労死、家庭崩壊、精神的苦痛、
様々な形で、人権を侵害していく。

だから、サービス残業
イケナイんですよ。

一部の、特殊な、
例を持ってきて正当化しては
ダメなんです。


<(´・ω・)以下、kanedoの日記本文(´・ω・)>


さてと。日記主をはじめとする、「売春は人権侵害を伴うから悪い」という論者と、「職業選択の自由」「自己決定権」という立場から売春を擁護(あるいは否定しない)する論者がケンカしている。内容としては、知識自慢大会をやったり、「売春は本質的に善か悪か」という19世紀以前的論争をやったり、「他の仕事でも十分に生活できるが、あえて売春を自ら選択している人はいるか」という神学論争をやったりしてて、まぁぶっちゃけコメント欄はつまんない(´・ ω・)


日記主の本文から米欄まで一貫した主張、

「売春は人権侵害であり続けてきたし、これからもそうだろう。『貧困状態になくても自ら選択して売春をしてる人』といった特殊例は事の本質を考える上で蛇足であり、それを根拠に売春擁護をするのは有害」

には十分な説得力がある。自由主義的な立場を取る私でも、「職業選択の自由」という点から売春を擁護することに危険性が付きまとうのには同意するし、私がかつて売春の合法化を擁護した(今もしてる)のは少なくともそういう点からではない。売春したい人の自由を守るのも重要だが、「金がないなら体売れ」という社会的圧力はより多くの売春したくない人の自由を侵害する可能性がある。「職が無いというが介護でも農業でも人足りてないぞ。介護か農業すれば?」と言う大衆のことだからきっとそう言うだろう。自由主義の予想する理想的な均衡は、大衆がぶちぬけて愚かであることの負の外部性を勘定に入れていないふしがある(´・ω・)


「売春は大体の場合において人権侵害である」という主張には説得力があるが、それだけではあまり役に立たないし、私もあまり興味がない。私(と、ごく一部のコメント者)が唯一興味あるのは、「で、売春の現状をどうするの?」という問題である(´・ω・)


例えば売春防止法について
・現状維持
・買う方の厳罰化と業者のさらなる規制強化をする
・売る方も罰する
・売春を合法化して公的に管理する
といった、何らかの選択が必要だ。単純な正義観に基づく規制強化(往々にして行われる安易な選択)は無意味な上に有害で、どうすれば目標の達成に近づくことが可能なのか、関係者の動きを予想しながら制度設計をしなければいけない(´・ω・)


根本的な問題は別のところにあり、別のアプローチが必要なのかもしれない。売春の問題に関する公教育の強化を行うか、オリエント工業公的資金を注入するか、あるいは、ほぼすべての問題において正解となりかつ最も難しいため提案としては意味の薄い「貧困の解消」か。なるほど貧困が解消されれば非常に多くの問題が解決するが、では社会問題の具体的対策として、経済成長と所得の再分配に邁進しながら、貧困が減るまで待っていればいいのだろうか。本当に、他にできることはないのだろうか(´・ω・)


いずれにせよ、倫理的に何が正義かという問題と、正義をどう実現するかという問題の間には、莫大な距離と全く異質の困難さがある。力なき正義は無力であり、正義なき力は暴力(注)である。加えて言えば、誰かの正義は誰かにとっての暴力だ(´・ω・)


注:この言葉を言った極真空手創始者大山倍達の伝説(牛を素手で倒した)は、牛にとって暴力である。


19世紀的論争の好きな方々(日記主は多分含まない)は心にとどめてもらいたい(´・ω・)

関連
http://d.hatena.ne.jp/kanedo/20090119/1232369529

オリエント工業を知らない方へ
http://www.orient-doll.com/top.html
http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/51175606.html