民主主義との愛憎20年

俺はどちらかと言えば好き嫌いのはっきりしている人間だが、好きと嫌いが混在してどういう態度を取ろうか困るものもいくつかある。たとえば、民主主義とか。


昔から今に至るまで、俺は人がたくさん集まると大体常に少数派なので、感情的には民主主義が嫌いだ。偏差値とかエリートとかが好き。しかし、民主主義は俺の住む世界をそこそこ満足なものとして保つための必要悪だと思ってるので全面肯定している。戦う民主主義を採用してもよいかもしれない。(ただ現状の日本は確実に未来を食いつぶすじじいばばあ衆愚政治なので、選挙システムの改良等は望ましいが)


俺の考えでは、長期的に見て分権的な民主主義より優れた政治システムは今のところ存在しない。短期的には、エリートが運営する中央集権的、非民主主義国家が民主主義より優れた意志決定を行うことはしばしばある。むしろ、

1:票数を武器としたロビイングを行って全体のためにならない要求をしてくる利益団体がいないので、うまく扱えば民主主義より効率がいい
2:権力が集中していると、面倒な調整作業なしに全体を一気に改革することが可能

といった利点を持つので、ここ20年ほどで大きく社会環境が変わった今、どこかの先進国が非民主的な政治に移行すれば、たまりにたまったシステムの非効率を一気に解消して、最初は素晴らしい成果をあげるかもしれない。


問題は、いずれ(往々にして結構すぐに)無能な統治者が現れて腐敗することだ。そして非民主国家の決定的にダメな所は、合法的に政権を後退できない、つまり腐敗した時にクーデターでも起こさないと修正がきかないところだ。そして、そうした力ずくの修正の後にはしばしばもっとダメな体制ができることを歴史が証明している。


一方分権的な民主主義国家は、体制を保ったまま不適切なものを排除する仕組みがある上、権力が分散していて一挙に全てを変えることができないので、全体最適化的な改善がしにくい欠点はあるものの非常に安定的である。そして安定的であることは国家の意義や経済発展にとって最も重要(普通は、いつ政権崩壊するかわからない国家には誰も帰属や投資をしたがらない)だと思っているので、俺は分権的な民主主義を肯定する。


つまり、民主主義にずっと続いてほしいが、民主主義が続く限り例えば「売春はとっとと合法化して国で管理すべき」「婚外子の法的差別とか厳格な一夫一妻が少子化の一因だから、法制度としての結婚は廃止すべき」といった俺の意見は聞き入れられない。大体俺の選挙区は創価学会のお膝元、公明党太田代表の区なので、選挙に行っても完全に無駄である。

※追記
東京12区は太田代表の勝利で確定の面白くない区だと思っていたが、最近ちょっと熱いようだ。共産党候補の眼鏡っ娘(さおりん)がいたり、小沢代表が出ると噂されたり


こうして俺のような、人間とか政治についての知的興味は大いにあるけど現実の政治には無関心というスタンスの人間が生まれた。どうせ意見が聞き入れられないのだから政治の決定に苛立つのは地震に苛立つのと同様に体力の無駄。俺はできたシステムの中でどう面白おかしく生きるかだけ考えるお。政治に何か望むとすれば、生活をいちいち乱してほしくないので、内戦とか大規模ストライキが起きない程度に安定しててくれればいい(この面でも、安定が特徴である分権的民主主義を支持)


この国がよい方向に向かう時はあるのだろうか。知らないけど、向かわなかったら引っ越すまでである。しかしメシがうまいというのは生活の質にとって非常に大きな要素なので、多分そう簡単に腰を上げることはないだろう。ケバブもうまかったけど、カツ丼のない生活は考えがたい。