追悼:忌野清志郎

忌野清志郎さん死去
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1258447.html

※暇な人は、是非youtubeのリンクを聴きながら読んでください。

リアル友達は知ってると思いますが、Kanedoは音楽人です。特に忌野清志郎は音楽だけでなく、その生き様が大好きなミュージシャンの一人でした。本当に残念です(´・ω・)

僕が生まれる前に、ロックが音楽以上のなにものかだった時代、陳腐な言い方をすれば「主張」や「メッセージ」でありえた時代があったようです。日本においては、尾崎豊の死によってその時代が終わったと僕は考えていますが、清志郎は時代が変わってもその頃の姿勢を保ち続けた数少ないミュージシャンです。彼の死によって、日本から「ロック」はなくなってしまいました。もちろん日本にもいまだ素晴らしいロックミュージックやロックシンガーはたくさんいます。でもそれは「ロック」ではないと僕には感じられるのです(´・ω・)

圧倒的な個性。誰に彼の代わりができるでしょうか(´・ω・)


ちなみに僕が高校の卒業文集に書いた文章のタイトルは、「忌野清志郎がかっこいい理由」(´・ω・)

忌野清志郎がかっこいい理由

近現代を特徴づける人間の解放がその実「人間」から半端者を濾過することに日々勤しんできたとすれば、2006年度の人間活動が濾過され損なった無色透明の「人間」による箱庭じみた慣れ合いと、これまた箱庭じみた無法地帯に代表されるのも無理はないでしょう。「監獄の誕生」とか読まなくてもmixi2ちゃんねるであなたも立派なポストモダン中二病がそのままジジイになったような連中によると、こういう時には品格が大事らしいです。成程。そういえば品格品格騒ぐ女性って見たことないなぁ。「お隣の山口さんちがM&Mされたってよ」「へー」21世紀は戦場だ!逃げる奴は尾崎豊だ!逃げない奴はよく訓練された尾崎豊だ!自由になれた「気がした」という冷めた視点に彼の悲劇性が詰まっていますね。国民の自由も全取っかえしたらどうかな。せっくすへの自由せっくすからの自由せっくすによる自由。近くて遠い所から苦情来そう。ここ2000年神様は天から聖書に引きずり降ろされたり殺されたり散々でしたが、最近は教養とか生きがいとかに引っ越したらしく、相変わらず世界のど真ん中では殺人者がパレードしています。だからこそ、ロックを体現した忌野清志郎の生き様はあれほどまでに魅力的なのでしょうか。

ああ。偉大なミュージシャンに追悼。