リアルとネットの不適切な二分法がもたらすチャンスロス

生活やコミュニケーションについて、「リアル」と「ネット」を対置して行うような議論をよく見かけますが、これは不適切、というより本質を見失わせるものだと思っています。「リアル」と「ネット」の二分法(これがどれくらい広がっているかを見たければ、"リアル ネット"でgoogle検索かtwitterの発言検索をしてみればよい)は、「リアル」の捉え方に関して非常に保守主義的なものを含んでおり、これにとらわれてしまうと、ネット上での人間関係を軽視し、そこから得られる便益を得そこなうようなマイナスが生じる可能性があります(´・ω・)


「リアル」を、学校や職場等といった生活圏から形成される人間関係とし、「ネット」を掲示板やブログ、あるいはmixitwitterといったソーシャルメディアを起点に形成される人間関係と考えると、生活やコミュニケーションにおける「リアル」と「ネット」の大きな違いは、通常以下の二つです。

1.やりとりする情報の種類や量
※ここで言う情報は言語的内容だけでなく、表情や声色といった非言語的なものも含む。

2.接する人の範囲や性質
※地理的制約、ネットのツールを使っているかどうかという制約

リアルとネットの定義を上記のようにした場合、一点目も厳密には違いとして正確ではありません。ここでは一般的なイメージに合わせて、「リアル」なコミュニケーションの代表格を顔を合わせての会話、「ネット」によるコミュニケーションの代表格をweb上での文字によるやりとりと想定して書いています。しかし例えばその場合、手紙やEメールといったコミュニケーション手法は、「リアル」に通常分類されるような人間関係でも多用されるものでありながら、文字だけの情報伝達という「ネット」的な情報交換の性質を持ってるとも考えられます。また、きっかけがネットだとしても、スカイプチャットやオフ会を通じて「リアル」的な伝達手段が取られる場合がしばしばあります。となると、ネットとリアルの人間関係における本質的違いは、出会い方と出会う人の種類だけだと言ってもいいでしょう(´・ω・)


にもかかわらず、多くの人々の間には、ネットとリアルにそれ以上の差を見出す、もっと言えば、ネットとネットに深く関わる人々をどこか蔑視するような「リアル中心主義」が広がっています。リアル中心主義的思考は、次のような発言に集約されます。

twitterでたまたま見かけた発言ですが、話者を批判したいわけでは全くありません、鍵括弧つきの「リアル」で育った人にとって、ネットがどう捉えられているかの一例です)

就職活動でツイッターの発言が参考にされる… 「洗練されたいいことを呟きまくっている人」より、むしろ「ほぼ何も呟いていない人」のほうが好ましいかな。自分が採用担当だったら。「皆がネットに縛られている間、僕はリアルで有意義に過ごしていました。真実は仮想ではなく現実にあります」でKO。

僕の立場だと、ネットは人を縛るものではないし(こういう話者が好きそうな言葉を借りれば、自分を縛るのはいつも自分)、大学入学以降の僕にとってネットの人間関係はリアルと同等以上に有意義だったし、あとネットは仮想ではないし、そもそもリアルにもネットにも真実などありません。まぁ半分ギャグで言ってるのでしょうが(´・ω・)


ネットがこのように扱われる理由については、大体予想がつきます。おそらく大きいのは以下の2点。

1.多くの人にとって、「ネット」=匿名である

2.多くの人は、「ネット」で有意義なコミュニケーションを取ったことがない

おそらく2010年現在ですら、かなりの人にとって「ネット」という言葉からまず連想されるのは、2ちゃんねるの雑然とした書き込みであり、匿名ブログの乱暴で差別的な記事であり、ニコニコ動画の話を学校で嬉々としてする冴えないメガネ男なのでしょう。実際の所ネットには、もっと有意義な世界がたくさん広がっているのですが(´・ω・)


これから、「どのようにネットで有意義な関係を築きうるか」という話についての議論を進める前に、全くタイプの違う二つの「匿名」を分類しておきます。「リアル」の世界で我々は実名を使いますが、「ネット」の世界では、以下の二つに実名を合わせた三つを使い分けてコミュニケーションを取ることになります。

1.いわゆるHN
一人が一個ないし複数の特定できる固有名詞を名乗り続ける。2ちゃんのコテハンや「kanedo」「とつげき東北」「fromdusktildawn」等はこれにあたる。リアルと接続しているか(並行して本名を公開しているか否か、学校や職場の友人がHNを知っているか)はここで本質的ではない。

2.いわゆる「名無し」
こちらが本来的な意味での匿名。「通りすがり」等の適当につけて使い捨てられるHNも含む。

このうち、ネットで有意義な関係を築くための足がかりとなるものであり、kanedoが擁護するのは前者です。後者がネットの評判を貶めているのは事実ですが、クレーム電話や匿名の投書に現れるように、リアルでも匿名性が確保されれば人は下品になるので、これはネットの本質的特徴ではありません。また、例えば日々新鮮な笑いを生む知の最前線であるニュー速VIP板は後者なしに成立しないと思われるので(身元が判明してなお野菜をレイプできる者がどこにいるというのか)、完全な匿名にもそれなりの価値は認めたいところですね。他にネットが蔑視されてる理由としては、立場を問わず発信力が非常に高いために、普通に生活していると見えないルサンチマンが可視化され、リアルに比べてそういう鬱屈した言論が目立っているからかもしれませんね。それはネットが劣悪なんじゃなくて、リアルではみんな隠しているか持っている人が目に入ってないだけだよ(´・ω・)


さて、完全な匿名では人間関係が築けないというのは納得いただけると思いますが(2ちゃんの過疎スレとかで、もはや名乗らなくても何人いるのか大体分かるような場合は例外)、例えHNを持ったところで、凄い人や面白い人と出会い、お互いに関わりあうようにならなければ、ネットにおける人間関係を有効活用はできません。おそらくソーシャルメディアが目指す価値はもそれなのだと思いますが、僕が思うに例えばmixitwitterも、そのためのツールとして適していない。mixiは狭すぎてネットの利点を生かせず、twitterは広すぎて同じ興味を持つ人を集めるための「軸」や、膨大なネット人口の中から凄い人・面白い人を個別に選り分ける「フィルター」がないためです。「軸」と「フィルター」がなければ、ネットでの人間関係はリアルの単なる延長になるか、どうでもいい人とのどうでもいい関わり合いになってしまい、消費している時間の割に学習も楽しさもないものになります(´・ω・)


ネットで有意義な人間関係を作るためには、「軸」「フィルター」として機能し、かつ多くのHNを持った人が集まって掲示板等で会話が発生するような、強力なコンテンツの内部や周囲で活動するのが近道です。最も望ましいのは自分で主催すること。僕が今までそうやって使ってきた/使っているものには、例えば以下があります(´・ω・)


名言と愚行wiki(とつげき東北主催)
http://toturev.sakura.ne.jp/totutohoku/index.php

ネタボケ企画(Revin主催)
http://ts.revinx.net/project/boke/index.htm

Freedom SNS(fromdusktildawn主催)
http://sns.my-freedom.org/


いずれも、強力な個性と能力を持ったネットの住人がテーマを絞って企画したコンテンツであり、その周り(チャット、掲示板、SNS等)に面白い人や能力の高い人が自然と集まることで魅力的な空間となっています。このような場で活動して能力を発揮し、周りから「こいつ面白いかも」「こいつ優秀かも」という形でHNを覚えてもらえれば、そこからメッセンジャーskypeチャット、オフ会等に自然と発展していきますし、その人の周りにいる面白い人とも自然と関係が形成されていきます。これを「ネットにおけるアイデンティティが確立された」とここでは呼びましょう(´・ω・)


ネットにおけるアイデンティティが確立されたあとは強い強い。skypetwitter等の新しいメディアが出ても同じメンツでつるめますし、ネットは地理的制限がないので複数のコミュニティに関わり、各メディアを通して異なるコミュニティの人間でもつなげることができます。こうして自分の周りに形成された「知性や笑いの精鋭集団」から学べるもの、得られるものは、いわば「運のみ」で知り合った、一流大学や一流企業の友人達といった「リア友」の集合を凌駕するでしょう。僕は2ちゃんねるFLASHサイト、凸のwebサイトを見て育った中学時代からネットに育てられたと自負していますが、ネットにおけるアイデンティティを確立したのは高校生の頃(ネタボケ企画)が最初、それが本格的に力を発揮し始めたのは大学2年生の後半(凸やぷりけつ、FreedomSNSのメンバーと直接つながった頃)です。このブログは「自分が人を集めるネットコンテンツの主催者となる」という次のステップに進む目的をもった準備活動であり、よさそうなコンテンツの方向性を思いつき次第行動に移したいと思っています(´・ω・)


「リアル」>「ネット」というのは、ネットが築く人間関係の力をいまだ生かし切れていない、ネットの「消費者」の思想です。学生生活や社会人生活が充実している人も、退屈している人も、ネットの「参加者」となり、ゆくゆくは「知性や笑いの結節点」となるために、今から動き始めてみてはいかがでしょうか(´・ω・)



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