学生にとって大学とは何か/広義の就活は1年から始めるべき

僕のブログの累積アクセス数を数日で2倍にした就活くたばれデモについて、ニュースが出ましたね。実は「マスメディアのインタビューを一緒に受けないか」と誘われたのですが、お断りしました(´・ω・)


「就活くたばれデモ」東京でも開催 2ちゃんとグーグルが学生をつないだ
http://www.j-cast.com/2010/01/24058578.html

それにしても、なぜ「就活くたばれデモ」なのか。言葉の響きからすると、就職活動そのものを否定しているようにも聞こえるが、そういう意図ではないという。企画の中心となった都内私立大学の2年生は


「現在の就職活動のあり方を世に問いたいと考えた。今は1年生から内定者と話をしたりして就活を始める人も出ているが、このまま早期化していく流れが強まると、もう大学ではないのではないかという意識があった」


と話す。また、大学院に行くか就職するかで悩んでいるという早稲田大学の3年生は


「大学生の多くは今の就活のあり方がおかしいと思っているのに、そういう不満を声に出すことができていない。こういうデモによって不満を可視化し、それをきっかけに就職情報会社や企業も含めて議論していければいい」


と語った。


インタビューの全文を見てみないと具体的な主催者の考えはわかりませんが、「大学とは何か」「何のための大学か」という問いが提起されているように思います。大学とは研究機関であり教育機関ですが、僕ら大学生にとってより重要なのは「『我々にとって』大学とは何か」「我々はどのように大学を利用すべきか」という問いですね。後者を決定する上では、「『企業にとって』大学とは何か」というのも意識しなければならないかもしれません。今日はこのあたりについて、僕の考える所を書いたあと、それと就活との関係がどうあるべきかについて考えてみたいと思います。


<学生にとって大学とは何か>


さて、このニュースに対する反応として、twitterでこのような発言を見かけましたが、これは大きな間違いだと思っています。

学生時代打ち込んだことを学業と答えると落とされて、サークルやバイトと答える学生が内定をもらうような社会では、本当に未来に希望が持てません。

多分、落とされるのは頑張ったのが学業だからではありません。また、その「学業に打ち込んだ」というのが、単に授業ちゃんと出席していい成績取ったということだとしたら、それは「学業に打ち込んだ」と言いません。

※ちなみに、僕もESに頑張ったことは勉強だと書いていました(あくまで、考えるための軸を作り、視野を広げるための手段の一つとしての勉強ですが)。落ちないので書いて大丈夫ですよ。


僕はこの記事等において、「勉強しよう大学生」というメッセージを送っていますが、決して「大学生の本分は勉強である」とか、「大学の授業を真面目に受けろ」と言いたいわけではありません。僕が言いたいのは、勉強は楽しいもんだということと、せっかく授業料を払っているのだから(国立大学の場合、週1万円強でしょうか)、「大学の講義」とか「大学図書館」というインフラを、自ら勉強するための道具として最大限利用してほしいということです。


問題は授業に出ていたか、成績がどうかではなく、なぜ学んだか、何を学んだか、そういった活動から何を得たかです。周りを見ても、何を学ぶか、何のために学ぶか考えて能動的に勉強してる奴の多くは、喋ってれば勝手に「ああ、コイツ面白いな」って思わせるシグナルが出ていますし、就活もおおむね好調です。高校生まではこういった意識がなくても「中学に入るための勉強」「大学に入るための勉強」という理由付け、あるいは勉強そのものを評価してくれる仕組み(受験)があるのですが、大学に入ってからこういう意識なしに受動的な勉強をしても無意味です。この意味で高校生までの勉強と、大学生以降の勉強は、本質的に違います。


ここで述べたようなこと(活動した事実そのものよりも、なぜ行い、そこから何を得たかが重要)は勉強に限らず、どんな活動についても言えることです。しかし、こと勉強に関しては受動的に授業を受けていても「勉強した」と言えてしまい、しかも大学生は勉強すべきだという社会通念や、大学入学までは受動的に勉強してるだけでも評価されてきたという現実が存在するので、


「俺は勉強して大学生の本分を果たしているのに評価されない。あいつらは勉強しないでサークル活動をしたりバイトしたりしてるのに評価されている。こんな世の中は間違っている」


という怨念めいた感情が生まれるのでしょう。kanedoはそういう人に全く共感しません(´・ω・)


<就活は1年生の4月から始めるべきだ>


さて、「意欲ある学生にとって大学とは、自ら勉強するのを助けるインフラである」という大学観を示した所で、勉強と就活の兼ね合いについて考えていきましょう。僕としては、(言い方はともかく)これに同意しています。

http://twitter.com/ikedanob/status/8148078037

今どきの若者はダメだね。就活を1年生の4月から始めるのが賢いんだよ。大学の4年間は時間つぶし:「就活くたばれデモ」 http://www.j-cast.com/2010/01/24058578.html -ikedanob

ここで僕が使っている就活というのは、あの説明会に行ったり自己分析をしたりする大学3年生の季節行事としての<就活>ではなく、社会に出るための準備としての社会を知る活動です。つまり、自分が趣味としてやっている勉強と関連させながら、経済や社会がどのように回っているのかを学んだり考えることです。どのような企業があるのか。企業はどのようにして運営されているのか。日々ニュースになっているような出来事の裏に、どのような人々の行動や思惑があるのか。日本の外では何が起きているのか。この中で自分はどのように生きていきたいか。考えるネタは無限にありますし、考えようと思えば自然と本を読む必要が出てきます。商学部という現実の企業活動と近い分野を学ぶ学部に入ったことは、就職して利益を出すための助けになるとは思っていませんが、このようなことについて考える上では大いに役立ってきましたし、これからも役立つでしょう。これが、佐藤考治さんがいう所の「就活の<ステップ0>」であり、僕が言うところの「(就活の8割を決める)ファンダメンタルを育てる活動」です。


となれば、就活(以下、括弧なしで使ったら広義の意)を1年生から始めることは、大学生にとって害になるどころか、非常に有意義でしょう。神が死んだ現代において、勉強の目的は真理を追究することではありえず、純然たる趣味か、社会において何らかの形で役立てることです。就活をすることは、自分が普段学んでいることを、社会との関連という文脈で捉えなおすいい機会にもなります。なんなら、1年生から狭義の<就活>に参加したっていい(ここで書いたように、ビジネス本を読みふけるのはあまり推奨しませんが)。勉強と就活を対立するもののように捉えている人は多いですが、どっちも目的は自分の人生をベターなものにすることで、そう対立するものでもないかもしれない。就活と授業のダブルブッキングだってできれば避けたいけど、起こっちゃったらしょうがないから「自分の意思と責任で優先順位をつけ、選び、遂行するトレーニング」とでもポジティブに考えとけばよい。授業の意味や自分が本当にしたいことについて考えるきっかけになるでしょう。重要なことは、自分の選択から何を学び、どう生かすかです。当ブログは、そういうエネルギーにあふれる学生を応援しています(´・ω・)


<補足>

学生時代に頑張ったことが勉強というのは何の問題もありません。ただ、サークル活動やバイトをせずに大学生活をしてると、関わる人が量/質(多様性)ともに少なくなって視野が狭くなりがちです。バイトやサークルに打ち込んでいた人が就活で結果を出し、「勉強に打ち込みました」という人に結果を出せない人がいる背景には、そのような事情もあるのでしょう。勉強が好きな人は、リアルでもネットでも何でもいいから、同時並行で異質な人との交流も多く持つことをおすすめします。僕がよく言っている「本を読め」と「『外』に出ろ」は車の両輪です。こういう意味でも、就活を早くから始めることは有意義だと思います。<追記1/25>
この記事が答えてるようで答えてない疑問として「大学は勉強するためのインフラで、勉強したことと社会の理解をつなげるために就活しようっていってるけど、じゃあ勉強って社会に出て役立つものでなくちゃいけないの?それ以外の勉強には価値がないの?自由主義者のくせに体制に迎合するの?」というのがあります。そんなことはないですよ。自分が自分の望むように生きることと、その勉強が関連付けられていればOKだと思います。